Vol. XII, No. 112 平成十八年十二月七日

佐藤栄作の大チョンボがニクソンショックという破局を招いてから、日本核武装はワシントンで鬼門となった。最初、ブッシュ大統領でさえも反対していたが、去年の京都訪問で賛成にまわった。だが彼には二年の時間しか残っていない。更に、次期大統領が民主党となる可能性が高い。その場合、米中が日本非武装化に協力するシナリオもあり得る。イラクから撤退するアメリカと日米関係の将来は非常に暗いものになるだろう。

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佐藤総理は「核抜き本土なみ」という過激な政策を、沖縄で一方的に宣告することで、ワシントンに有無を言わせなかった。ところが、ニクソンがそれに乗って来たのだ。

佐藤が中国に対抗する核武装を考慮していたのを知っていたニクソンは、日本核武装で米軍撤退を埋め合わせてはどうかという対案を提示した。これで「核抜き本土なみ」の条件は満たされ、日本は大国になれる。だが、栄作はこの提案を拒否し、米軍の駐留継続と「核抜き本土なみ」の並立を要求した。

ここでニクソンは不本意ながら日本の保護国化に同意し、プロテクション・マネーの支払いを要求した。それが対米繊維輸出の自主規制だった。栄作は京都産業大学の若泉敬を通じてこれに合意しながらも、不履行で傍観していた。

怒髪天を突いたニクソンは、日本の頭越しに米中接近に踏み込んだ。驚いた栄作は、土壇場で繊維交渉を纏めてくれと田中角栄に泣きつく。佐藤の弱味につけこんだ角栄は、逆に政権を奪ってしまう。官僚国家は崩壊し、職業政治家による保守本流の時代が幕開けとなる。

核武装を拒否しながら、アメリカと喧嘩中の日本が中国に接近したのだから、周恩来の手玉に取られたのは当然だった。対中謝罪外交はここで始ったのである。


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