靖国神社と皇室典範をイデオロギーに捉われずに考えています。
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片岡鉄哉 略歴 1933年、栃木県に生まれ。元スタンフォード大学フーバー研究所研究員。早稲田大学政経学部卒業。シカゴ大学大学院政治学部博士課程修了。 1969年ニューヨーク州立大学政治学部助教授、1982年筑波大学歴史・人類学系教授に就任。1984年スミソニアン・インステテューション Woodrow Wilson Center fellow
「それは1950年12月初頭の夜明けだった。気温は氷点下40度で、雪まじりの嵐が満州から鴨緑江を渡ってナイフのように切りつけていた。前方で中国人民義勇軍の大部隊が突撃ラッパを吹き鳴らし、潰走する海兵隊を全滅できると思っていた。海兵隊の行く手には別の中国部隊が逃げ道を遮っていたからだ。我々はそれを突破して山道を駆け下り、海岸線で待っている国連軍海軍の救援船舶で逃げるのだった」
米国陸軍の書いた戦史のなかで、朝鮮戦争は常に救いようのない、陰鬱で、絶望的な戦争として提示される。・・・・・
[1]David Douglas Duncan, “Uniform Sacrifice,” the New York Times, July 25, 2005.
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