「日本よ、同盟を拒絶するのか」、VOICE,03年9月、p。88-98。

スタンフォード大学フーバー研究所 元上級研究員

片岡鉄哉

これは衰退する日本への警告である。国務省OBの重鎮二人がフォーリンアフェアズ誌で発表したものだ。大事なことは、この警告が日本を外した新秩序のコンセプトを描いて見せていることだ。こけおどしやブラフでない。

ポスト冷戦の世界においてブッシュ政権の大戦略は、テロとの戦いに勝つことであり、そのために冷戦の遺産である台湾・朝鮮問題を解決する。この問題に対処するについて日本は足手まといであり、解決してしまえば日米安保は存在価値を失う。反して中国は、北朝鮮との交渉にとって不可欠のオネスト・ブローカーとして登場してきた。

日中の立場が逆転したのである。これに比肩する歴史的前例があるとすれば、ニクソンショックが引き金になった米中デタントでなくて、ワシントン会議における日英同盟の崩壊であろう。


筆頭著者モートン・アブラモヴィッツについて私が今でもはっきり覚えているのは、キッシンジャーの日本頭ごし訪中から米中デタントまでの経緯である。あの外交クーデターを可能にしたのは、アブラモヴィッツであった。キッシンジャーが対中接近するには、台湾問題という難関を突破する必要があった。アブラモヴィッツが”One China, but not now.”(一つの中国、だが今すぐではない)という処方箋を書いて、問題を解決した職業的外交官だった。

九一年に退官するまで彼は諜報調査担当の国務次官補、トルコ、タイへの大使を務め、その後カーネギー財団の理事長となり、現在はセンチュリー財団の研究員である。

スティーヴン・ボズワースも生え抜きの外交官で、クリントン政権が九五年に北朝鮮との枠組み合意を締結すると、軽水原子炉を建設するために成立したKEDOの理事長を勤め、その後駐韓国大使となってならずもの国家に対処してきた。

アブラモヴィッツは、キッシンジャーと同様に中国に近い。ボズワースはクリントンが贔屓したのであり、二人とも民主党員である。だが彼らの論文は外交官が書く物としては厳しいものだ。この警告には、民主党の親中・反日の鉱脈を垣間見ることができる。

論文の背後にある政治的状況について言えば、この警告には民主党内でのブッシュ政権批判という文脈の中から出たものであろう。冷戦終焉から9/11までの間、共和党はもっぱらクリントン政権が中国に甘く、日本に厳しいという攻撃をつづけてきた。

中国を「競争相手」と定義するブッシュ政権が就任した時の重要な議題のひとつは、どうして日本から平和主義を追放して、反中統一戦線のパートナーにするかということだった。選挙戦の最中に、アーミテージは、ポール・ウォルフォヴィッツ(現国防次官)、ジョセフ・ナイ(クリントンの国防次官補)など超党派の専門家を糾合して、日本が集団的自衛権を行使するよう檄をとばした。アーミテージはブッシュ政権の国務次官となり、自分の提案に責任を負うことになる。

ところが○一年九月十一日に、全く新しいゲームが始まった。アメリカという国は戦争によって同盟国と優先順位を決める国である。テロとの戦争では、「古いヨーロッパ」を捨てて、東欧の「新しいヨーロッパ」と「有志同盟」を築いている。テロとの戦争、特に北朝鮮問題の処理についてブッシュ政権が中国と協議に入った時に、民主党は反撃の機会を見出したものとみえる。

一般的に言って、民主党は外交問題で共和党に歯がたたない。民主党大統領が、ソ連や中国のような独裁政権と政治的駆け引きをして譲歩しようとすると、共和党がナショナリズムを煽って腰抜けよばわりするからである。中国とのデタントをこなしたのは共和党右派のニクソンだった。ケネディーやクリントンは、共和党が怖くて、やりたくてもできない。

「真珠湾攻撃」で始まったテロとの戦争はブッシュの独壇場であった。軍国気運に乗り、二つの戦争に軽々と勝つことで、世論という権力を掌握した大統領は、中東和平を推進することでユダヤ系市民の票を民主党からはぎとり、再選に勝つことを狙っている。民主党はなす術も顔色もなしという状態だ。

民主党の左派はリベラルで、反戦運動をやりたい。しかし星条旗を掲げないと隣近所からどやされるような風潮では、反戦は逆効果だ。そこで民主党は、戦争を肯定しながら、その政策・指導を批判するというアプローチで手探り前進を始めたところだ。また、軍人の大統領候補者も物色中である。

テロとの戦争への貢献を尺度にして同盟国を選択するというのがブッシュ政権の基準であり、中国が準同盟国になるとすると、急に日本が見劣りする。民主党の親中国派は日本批判をブッシュ攻撃の材料に使いたいのかもしれない。そうだとすると、日本に集団的自衛権行使を促す仕事を背負い込んだアーミテージは、「失敗した」ということになるだろう。日本の再軍備が政争の材料になるとすると、厄介な話になる。

“Adjusting to New Asia”(東アジアに適応する)は言う。「日本の合衆国に対する戦略的価値は、なお大きいが下降をつづけている」

「長らく経済的原動力であり、ワシントンの被保護者であった台湾は、国際的に一層主流から外れ、大陸経済にますます吸収されつつある。従って、二つの中国のあいだの和解は今や一段と近づいたように見える」。言うまでもなく、これは台湾独立への死刑宣告である。

「アジア以外の地域での変化も本地域における米国の役割に影響している。リストの筆頭にはブッシュ政権のテロとの戦争への没頭がある」

「アジアにおけるこれらの変化の全ては、ワシントンが九○年代の戦略を再考することを迫っている。あの戦略は、東アジアの安定と繁栄は『コシキとヤ』(hub and spokes)――合衆国と主要な地域プレーヤーとの間の二国間関係――と、米日中の三角関係に依存するという発想に基づいている。だが、意識するか否かに関わらず、合衆国は東アジアにおけるユニークな均衡の役割から後ずさりし、中国との緊密な関係に向けて動いている」

「アジアにおける日本の影響力は立ち消えになりつつあり、日本の米国に対する戦略的重要さも同様の運命にある」

「タカ派的発言はするものの、東京は米国の北朝鮮核施設への攻撃は日本に対する報復攻撃を呼ぶことを恐れている。またより強気で独立した国家安全保障戦略を日本人が採択するとも思われない」

「中国の急速に発展する経済力と政治的存在にどう対応するかについて、日本はまったくゼロ解答(clueless)である。日本は戦略を考案するまで漂流するだろう」

「在日米軍は近い将来に減少するだろう」

「あっという間に、北京は、ワシントンの戦略的競争相手から安全保障と貿易投資のパートナーになった。ブッシュ政権は事実上、その中国政策を逆に切り替えた。この政策転換は、昨年公開された国家安全保障戦略において兆候が現れ、この中でブッシュ政権は中国でなくてテロリズムが戦略的脅威であると定義した」

「中国について超懐疑派であるチエイニー副大統領が、今年の後半に訪中する」。彼さえも台湾への死刑宣告に同意したのか。

「中国は広範な地域貿易イニシャチヴを駆使して、日本を跳び越してしまった。それがASEANとの自由貿易圏の交渉だ」

○二年、プノンペン会議で朱容基首相が小泉総理に「中国の自由貿易圏に入らないか」と聞いたら、総理は「時期尚早」と言って逃げた。海外派兵もできない国は勢力圏を持てない。冷戦時代に、通産省が「雁行飛行」の場としての勢力圏を唱えたのは、米ソの勢力圏が固定しており、日本は米国の一種の下請けだったからである。しかし現下の東南アジアで、米国の軍事力に依存する日本が、中国と対抗して貿易圏や通貨圏を持つのは不可能である。これまでの莫大な投資は全部とられるものと覚悟するべきであろう。

この他に、著者は朝鮮半島の将来について言及するべきであったが避けたものと思われる。これはブッシュ政権の周囲が既に放送しているものがあるから、私が追加しよう。

韓国の盧武鉉大統領は、選挙運動の間にかなりはっきりした反米の姿勢をとった。彼が就任するとブッシュ政権は間髪をいれずに韓国駐留の第二師団を三十八度線から半島南部に撤収する決定を一方的にとっている。いくいくは半島全部から撤退することをブッシュ政権は想定している。

無論、その前提には北朝鮮のregime changeと非核化がある。非核化は統一された半島全部に適用されることになる。つまり、朝鮮半島の中立化である。この中立を尊重し、監視するのが米、中、ロの三国である。朝鮮半島の永久中立が前提でなければ、隣接する大国の全てが支持することはできない。

日米安保体制は朝鮮戦争を遂行する目的で締結されたものである。条約の極東条項には、朝鮮半島の他に台湾の防衛が入っており、日本はニ地域の防衛に寄与することになっている。これらの問題が解決し、米中関係が友好的になれば、米軍は日本に駐留する必要がなくなる。日本は既に非武装化されており、事実上の中立を硬く決意しているのだから、米中が協力すれば占領ぬきで保護できる。

アブラモヴィッツが言及する、在日米軍の撤退とはそれを指している。フィリピンであろうが、盧武鉉であろうが、朝日新聞であろうが、「出て行け」といえば米軍は出て行くのである。日米安保体制の解消がアブラモヴィッツ論文の一番大事なdemarcheであろう。


次に、アメリカの政争の次元から離れて、アブラモヴィッツが批判している日本外交の実態をみてみよう。実は、日本の「スポンサー」であるアーミテージのペーパーにおいても、日本の成績はとても芳しいなどとえた代物ではない。

アーミテージは日本の不況を単なる経済問題として定義することに反対し、敢えて集団的自衛権、つまり憲法問題に主軸をおいている。これを提案することは、日本では政界再編成が前提になる。それも承知の上だ。だから、彼は小泉政権の成立して喜んだであろう。「自民党をぶっ壊す」「憲法改正の論議はタブーにしない」と新総理は絶叫していたからだ。ブッシュ政権が小泉総理を支持するということは、抵抗勢力と中国の関係を排除することを意味した。

アーミテージのお膳立てで、○ニ年の早春にブッシュは訪日する。この訪問の優先事項としてアーミテージが選んだのは、中国問題をテコにして愛国主義を喚起することだったようである。自民党総裁選の公約で、靖国神社参拝を公約した総理は、中国の反対にあって苦戦していた。中国政府は、ブッシュ政権が総理を後押しして改憲と防衛力増強を狙っていることに警戒した。総理に反対した中国政府は、橋本派(抵抗勢力)を応援している。

この二極分裂は戦後日本の外交では伝統的な構造である。冷戦の間は、社会党が東側陣営への窓口になり、自民党が西側陣営への窓口となった。その狭間にある日本を、竹下登は「ビルの谷間のラーメン屋」と呼ぶ。現在のところでは、総理がアメリカ係りで抵抗勢力が中国係りになっている。

ブッシュ訪日の劇場において、アーミテージが選んだ山場は、総理と大統領が一緒に靖国神社に参拝するというシナリオだった。しかし最初から反対と手違いがあったようだ。結局、靖国神社は避けて、明治神宮が選ばれた。しかしこれにも総理は乗り気でなかった。流鏑馬を見たいという大統領に境内まで同伴した総理は、車の中で待つから一人で行ってくれといったのである。

これでは劇場にならない。内外テレビの取材は最小限に抑えられた。お膳立てした国務次官にとってこれは大失態であり、責任問題にならなかったのが不思議なほどだ。

改革志向の総理が、いつ、何を争点にして、抵抗勢力と妥協したのかと聞かれたら、私は靖国・明治神宮参拝だと答える。憲法擁護を金科玉条とする保守本流は、国内の勢力だけで改憲の動きを抑えきれない時は中国と韓国の応援を動員する。鈴木善幸内閣が教科書問題で、レーガン政権の圧力を撥ね返したのが好例である。改憲派もアメリカを動員する。これまで何回やっても、決着は日本が「ビルの谷間のラーメン屋」で終わることだ。

ブッシュ訪日が失敗だった理由は、総理が中国と靖国問題で妥協することで、抵抗勢力との連立に入ったことであろう。泉抵連立と私が名づけた政権ができたのだ。こうなってしまえば、リンゼイ補佐官とオニール財務長官がいくら竹中大臣にはっぱをかけても不良債権処理は動かない。彼らの最重要の任務は竹中の不良債権処理を応援することだったので、失敗の責任をとられて首になった。

総理と日本は千載一遇のチャンスを逃した。ブッシュ政権は失望していた。それでもイラクへの自衛隊派遣が欲しいので、総理をテキサスの自宅に招待して三顧の礼をはらい、ついでに「もう一度改革をやらないか」と駄目押ししたのであろう。これも不発に終わったらしい。

最近、アメリカから、日本人は頑固だ、救いようがない、といったしらけた反応が聞こえるようになった。ここで日本問題を選挙の争点にして、ブッシュとアーミテージを追求しようという動きが出てきたのかもしれない。


日本が未だに集団的自衛権を行使しないのは何故なのか。日米関係を損なってまでも個別的自衛権だけでいくのか。実は、これは憲法問題というよりは日中関係の問題なのである。

無論、集団的自衛権の行使を拒絶するという前例をつくった責任は吉田茂にある。しかし、これを日中関係に絡めたのは七二年の日中国交正常化であり、主導権をとったのは反官僚の「庶民宰相」田中角栄だった。田中の中国接近は(一)日米安保体制に亀裂をつくり、(ニ)最近の日本衰退への道を開き、(三)将来に安保解消の危険をはらんでいることを暗示していた。

田中の日中国交正常化は、事実上の日中不可侵条約(de facto non-aggression pact)が締結されたことを意味していた。この条約は日米安保体制と相容れないものであり、後者を歪めたものにした。だから誰もそれを語らなかった。以下、不可侵条約の生い立ちと成長を辿って、なぜ安保放棄論が出てきたかを説明してみよう。

七二年の田中訪中への糸口になったのは沖縄返還交渉である。佐藤栄作総理が沖縄返還を一方的に、かなり高圧的に要求したことから始まる。彼は、返還要求に政治生命を賭けることで、のっぴきならぬ事態をつくりあげた。眠っていた世論を「沖縄返還」で動員したので、失敗したら自民党政権と安保体制がゆさぶられる恐れがあった。

返還を困難にしたのは「核抜き本土なみ」という付帯条件であった。当時、沖縄は米国がベトナム戦争を遂行するための基地だった。それでも返せというのである。

ところがニクソン大統領は、関係者が驚くほどに、あっさり譲歩したのである。実は、彼はルーズベルトの対日戦争に懐疑的であり、マッカーサー憲法は間違いだったと確信していた。五三年には中曽根康弘の仲介で訪日し、憲法について謝罪までしている。日本の沖縄返還要求に独立志向を見出した彼は、これを機に日本が同盟国になり、五大列強の勢力均衡に参加することを望んでいた。

同時に、沖縄で譲歩をするについてペンタゴンの説得に苦労したニクソンは、当然の交換条件として、佐藤総理が政治的な譲歩をすることを要求した。それが繊維輸出の自主規制だった。当時、日本製の「ワン・ダラー・ブラウス」というのが年に85%増という勢いで米国市場を席巻していた。ちょうど現在の中国製品と同じだ。これをなんとかしてくれというニクソンに、総理は合意している。

問題は、この合意は佐藤、ニクソン、キッシンジャー、若泉敬の四人だけが関知する密約だったことだ。京都産業大学教授の若泉は、キッシンジャーの反対役として、総理が任命した交渉者だった。

何も知らない繊維業界と通産省が輸出自主規制に猛反対して、繊維交渉はいったん決裂した。この約束不履行に対する報復がニクソンショックである。しかし事態の重大なことに気づいた総理は、田中角栄に依頼して繊維交渉を土壇場になってまとめたのだが、その時は既に遅かった。ワシントンは事前協議も通告もなしに、突然、米中がデタントに向けて協議に入ると発表したのである。

遅すぎたか否かに関わらず、日本政府は合意を守ったという立場を表面でとったので、これを世論の視点から見ると、ニクソン政権がいわれなくして侮日行為をとったように映ったのである。これはパーセプションの問題だった。

それに輪をかけたのが日米中の三角関係だった。米国が日本を裏切って、中国との協商に入り、日本を孤立させたという焦燥感が世論を揺さぶったのである。

ここで反米感情が大きく爆発し、新任の総理田中角栄はその風に乗ったのだった。孤立した日本は、アメリカより一層北京に接近することになる。訪中した田中総理は、日中共同声明において、台湾を中国の固有で不可分の領土と認めたのである。ところがニクソンの署名した上海コミュニケはアブラモヴィッツの処方箋、”One China, but not now”の線を譲らなかった。

これは二つの中国が平和的に話し合いで統一することを妨げない。しかし中国が台湾を武力開放することに米国が反対することを意味していた。

だから、日米安保体制が亀裂することになる。安保条約の極東条項は台湾に関するかぎり実質的に破棄されたに等しい。台湾を武力開放から保護するについて、日本は米国に協力する法的基準がない。この由々しき事態の意味するものを予見した牛場信彦大使は、田中総理に諫言したが、とばされている。

しかし、ニクソンショックなどというものは、ニクソンは全く想定していなかった。佐藤の悪意のない約束不履行が連鎖反応を起こしたのだ。日本に片思いをしていたニクソンは、沖縄をただで返せとする佐藤に、反発した。それが日本の世論を左に暴走させたのである。

事後処理においても不備があった。日米関係の危機を避けるには、総理は芝居を打ってでも、世論のパーセプションを操作するべきだった。ところが繊維交渉での自分の落ち度を意識したのか佐藤は無為無策だった。

ショックの後のワシントンで、ニクソン再選祝賀パーティーがあり、左藤夫妻は招待に応えた。最初の曲が流れるとニクソンは佐藤夫人と踊りだし、総理はニクソン夫人と踊っている。これをテレビで見た日本人は不可解なものを感じたであろう。

中国一辺倒の感情の奔流を堰き止めることができたかどうかは、難しいところだが、佐藤総理は、ニクソンの内諾を得て、ナショナリスト・デマゴーグをやり米国を非難して見せるという手もあった。そうでもしなければ、国民の鬱憤は田中という本物のデマゴーグにハイジャックされる他にない。しかし沖縄を取り返した後の総理は、再び「待ちの政治」に戻ってしまうのだった。

田中角栄にとってニクソンショックは千載一遇のチャンスであり、彼はそれを逃さなかった。ここで彼は戦後日本の政治と外交を一挙に転換させるような新機軸を作り上げている。天才的な離れ業であった。

第一に、それまでの日本は、吉田とマッカーサーが占領中に構築した官僚国家だった。永田町と霞ヶ関の双方を官僚が掌握していたのである。ところが田中以降は職業政治家が永田町を牛耳ることになる。佐藤栄作が福田赳夫を跡継ぎに据えたのは、彼に官僚国家を託するためだったが、両方とも失敗した。田中のダブル勝利の要因はニクソンショックであり、金権政治は枝葉のことだ。

第二に、ニクソンショックまでの日本は、完全な防衛ただ乗りをしていた。ニクソンショックの裏には、ベトナムで苦戦しているアメリカを尻目に高度成長をつづける日本に対する恨みがあった。

それに応えるべく田中が考案した償いが繊維問題の決着だった。彼は繊維業者に補助金をばらまいて廃業させ、そうすることで輸出を自主規制したのだ。つまり、防衛ただ乗りの非難に対して、「ヒトは出さないがカネは出す」という防衛政策を発明したのである。これを傍からつぶさに観察・学習していた政治家が若き日の竹下登だった。後日、彼が新防衛政策を日米間に適用して日本を破産にみちびくことになる。

第三に、ニクソンショックまでの永田町では、国内へのばらまきだけがピンハネと汚職の対象であった。ところが田中は海外へのばらまきからも政治資金の吸い上げが可能なことを証明したのだった。彼が最初に手がけたのはアメリカ政府との繊維交渉だったが、その直ぐ後で中国に対するODAという巨大な資金援助へのレールを敷くことになる。

田中が創設した対米ばらまきは防衛ただ乗りへの非難に応える便法だったが、ODAは日中共同声明で日本政府が認知した戦争責任への事実上の補償という形をとった。これは北京訪問をした田中と大平外相が、周恩来との交渉で直面した難題だった。周恩来は共同声明で補償の請求権を放棄するとうたいながら、裏では要求したのである。

ODAは道路公団と同じように自民党にとって不可欠の資金源となり、外務省の「援助大国」というスローガンと相まって、膨れ上がった。現在までに中国に対する給付は六兆円になる。

日米安保体制に亀裂をつくっただけでなく、中国に対して無節操な資金援助を開始した日本政府にどう対処するかがワシントンで問題になったものと私は推察する。

勿論、争点は汚職でない。石油のような経済問題でもない。日本、台湾、朝鮮半島の安全保障という戦略問題である。オーソドックスな対処は公開の場で日本政府を批判することだろうが、それでは、既に亀裂している日米安保が崩壊してしまう。そこで金権政治に引っ掛けて、総理を個人的に失脚させるという方途が選ばれたものと推測する。

米上院外交委員会の多国籍企業小委員会がリークしたロッキード汚職の情報は、ホワイトハウスの最高のレベルで裁可されたものであろう。同時に、私の知識・経験から推すと、このような内政干渉は、それに同調する者が内部にいないと成功しない。外からの内政干渉の手引きをする者が必要になる。

私は、愛国心に燃える外務官僚が田中総理に引導をわたしたのだろうと思っている。田中真紀子が外務大臣になった時に見せた外務官僚への復讐心が、間接的な裏づけである。

ともかくロッキード疑獄は、日米安保体制の分裂に対するアメリカ政府の抗議だった。確証はないが、私はそう解釈している。ロッキード疑獄は卑劣な手段だと私は思うし、それ故か逆効果でもあった。怒った田中は闇将軍として居座ったからだ。田中の行為に情状酌量の余地はあるだろう。それにも関わらず、彼の安保分裂は過ちであり、日本外交の汚点である。牛場大使は正しかったのだ。

田中訪中の結果として、「ビルの谷間のラーメン屋」という二極分裂外交がうまれている。

しかし「ラーメン屋」に東西等距離外交ができたのは、米中デタント、つまり事実上の米中同盟があったからだ。日本が米国と中国に挟まれている以上、「ラーメン屋」であろうが、裸であろうが、安全だった。ただし、中国は日本に安全を高価で売りつけた。「ラーメン屋」は中国に城下の誓いをたてて六兆円を払っている。

私は対中接近や東西等距離外交に反対しているのではない。ただ「ラーメン屋」にはそんな自由はないというに過ぎない。非武装国家が保護者を蹴飛ばして、共産主義独裁国家と手を組むのは自殺行為である。特に、非核国家である日本が、核の傘を貸してくれる米国を蹴って、反米の日中協商をやるというのは、怖いもの知らずである。


米中でタントのおかげで、田中訪中のツケは冷戦が終わるまで回って来なかった。しかし米中の睨みあいが再開すると、恐ろしいことになる。

ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わると、反ソの同盟関係にあった米中は、共通の敵を失い、「競争相手」となった。よくても、精々「関わり合い」を認める程度の仲だ。こうなると安全保障を他人に任せる日本の選択肢は、米中どちらかの保護に頼るしかない。

アメリカに依存するのは既定の選択だった。しかし日本人の大多数にとって、アメリカに依存するということは、アメリカに金銭的補償をすることではあっても、アメリカと一緒に戦うことではない。同盟関係は絶対拒絶する。どれほど身の危険が迫ろうとも、国の威信を損なおうとも、日本人はアメリカと戦うことは避けたいらしい。

それを証明するのが、村山内閣から橋本内閣の頃に起きた台湾海峡危機である。

九五年の秋に沖縄で米兵による少女輪姦事件が起きた。社会党沖縄県連から衝きあげられた村山富市総理は、前後の見境なく反米感情を煽ってしまった。東京にデモが飛び火して日米関係は険悪な様相となる。翌年が大統領の再選の年で、クリントンは大変な火種をかかえこんだ。

日米関係の破綻を見ていた中国政府は好機いたると判断したのであろう。社会党の総理大臣が反米デモを煽っている時を狙って江沢民が裁可したのは、台湾へのミサイル攻撃だった。

今、台湾にミサイル攻撃をかければ、反米の村山総理は中立を宣言するだろう。そこまで行く踏ん切りがつかないのであれば、新華社を使って公開状をだしてもいい。「村山総理は『台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを・・・・十分理解し、尊重』すると約束した日中共同声明を破棄して、アメリカ帝国主義と共に戦うのか」と尋ねればよい。

村山内閣が中立すれば、在日米軍は動きがとれない。台湾を守れない。九五年の年央に、北京政府はミサイル攻撃の第一発を撃った。これは台湾周辺でなくて、台湾と沖縄の中間地点に着弾している。これは村山総理に対するメッセージだった。十二月に第七艦隊は空母を派遣して台湾海峡を通過させた。中国の武力恫喝に対する「目には目を、歯には歯を」だった。

翌年の元旦早々に総理は敵前逃亡した。実はこれが二度目だった。社会党は非自民連立として細川内閣の傘下に糾合したのだが、北朝鮮制裁問題が浮上すると動揺し、野党だった自民党にそそのかされて戦線を離脱し、自民との野合に走ったのである。しかし敵前逃亡などという概念は、戦後の日本人には通用しない。天下御免だった。

後任の総理は橋本龍太郎だったが、村山は去っても、社会党員が閣僚として残っている。だから戦争になれば内閣は崩壊し、日米安保は真空状態になる。二月早々、新総理はカリフォルニアに飛んで、クリントン大統領と会談した。

空母インディペンデンスが横須賀から台湾海峡に出撃する場合は、日本との事前協議はなかったことにしてくれと頼んだのである。中国が空母出動に怒ったら、「俺は知らなかった」というつもりだったのか。

ともかく、日本中立のお墨付きをクリントンから頂戴した代償として日本政府は莫大なカネを米国債に投資すると約束している。これが米国で空前のインターネット・バブルに貢献することになる。クリントンはそれで点数を稼いで再選に成功した。日本政府による、れっきとした内政干渉だ。

台湾海峡の危機によって事実上の日中不可侵条約は崩れ去った。この条約と安保条約は二律背反であり、片方をとれば他方を捨てざるを得ない。だが日本は無理をして両立させようとした。そのためにアメリカと中国の双方に大金を払い、靖国神社と国家の尊厳を放棄し、双方から侮辱を招いている。「ラーメン屋」が「ビルの谷間」にいることは不可能なのだ。重武装するか、どっちかのビルに入るか。どちらかである。


この無節操で、危険なことこの上ない外交を検証してのことだ。アーミテージが集団的自衛権の行使を日本に提案したのは。しかし彼は失敗した。橋本派と中国が勝ったのだ。そこでアブラモヴィッツの安保解消論が出てきたのだ。

日本は既にとりかえしがつかない状態かもしれない。しかし、このまま転落をつづけるとしても、その原因の真実を知る義務が日本人にはあるだろう。

(この論文へのコメントを歓迎します。コメントはこちら)