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片岡鉄哉 略歴 1933年、栃木県に生まれ。元スタンフォード大学フーバー研究所研究員。早稲田大学政経学部卒業。シカゴ大学大学院政治学部博士課程修了。 1969年ニューヨーク州立大学政治学部助教授、1982年筑波大学歴史・人類学系教授に就任。1984年スミソニアン・インステテューション Woodrow Wilson Center fellow
私が在籍していた一九六○年代のシカゴ大学は、恵まれたことで稀有な大学だった。第二次大戦でアメリカに亡命したユダヤ人の政治学者が、なんと三人も教壇にあったのである。ハンス・J・モーゲンソー、ハナ・アレント、リオ・ストラウスはいずれも碩学だった。
私は早稲田在学中にマルクスとモーゲンソーを読んで、その理論構造の美しさにほれ込んだ。どうしてもモーゲンソーのもとで勉強したいと考えてシカゴに旅をした。そして着いてからストラウスとアレントを発見したのだった。
当時のアメリカ政治学は行動科学の全盛期で、博士課程から外国語を追放し、統計学で置き換えるという愚挙をおかしていた。シカゴだけがギリシャ・ローマ文明の伝統を守るオアシスだった。私は三人の足下にはんべって、乾いた砂が水を吸い込むように学んだ。三教授と院生の間に、アメリカでは見られない師匠・弟子の関係があったのは異様であった。
三人は大きな軌跡を残して、一九七○年代に、あっという間にこの世を去っていった。それはあたかも動物としての人間のもろさと、理性の不朽なることを、対照して証明するかのような出来事だった。
三人は終生、亡命先では客人であり、一種の緊張関係を保っておられた。それでもアメリカ人の院生が、私と同じく彼らに心酔・傾倒したのは、合衆国が「現世のローマ」と自負しており、その源泉を彼らが探っていたからだと思う。私の同窓生の中には、その後アメリカ精神のスポークスマンになった人間が多い。レーガン政権のベネット教育長官、ブッシュIIのウルフォヴィッツ国防次官などである。
それから三十年の年月が経ったニ○○一年のある日、合衆国議会図書館から一通の手紙が届いた(写真参照)。若い私がアレント先生の助言を求めて提出した博士論文のプロポーザルが、先生の文通コレクションの中からでてきた。このコレクションを議会図書館で保存するので、私の書いたものの版権を譲渡してほしいというのだった。 実は、私はアレント先生とそんな文通をしたことも忘れていたのだった。大変な名誉を喜ぶとともに、今さらながら三先生と自分の軌跡が交叉したシカゴ時代の価値をかみしめているところである。
スタンフォード大学フーバー研究所
片岡鉄哉
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HOOVER INSTITUTION
Tetsuya Kataoka is a research fellow at the Hoover Institution. Before his appointment as a Hoover fellow, he was a professor of political science at Tsukuba University in Japan.
A political scientist by training, Kataoka is in charge of the Japanese Studies Program at Hoover. His areas of concern are security and international relations in East Asia, the diplomatic history of U.S.-Japanese relations, Sino-U.S.-Japanese relations and social development, and political modernization in Japan.
His most recent publication is America in Retreat: New Isolationism and a Threat to Japan (in Japanese) (Tokyo: PHP Research Institute, 1995).
Kataoka recently finished a manuscript dealing with the origin of Japan's postwar political system that unlocks the secrets behind Japan's single-minded pursuit of economic growth. Currently, he is working on U.S.-Japan trade disputes, 1981-1988. He is a regular columnist for Jiyu-Minshu, a journal of the Liberal Democratic Party of Japan, and is an occasional contributor to the Asian Wall Street Journal.
His past publications include The Price of a Constitution: The Origins of Japan's Postwar Politics (Taylor & Francis, 1990); Waiting for Pearl Harbor: Japan Debates Defense (Hoover Institution Press, 1980); Resistance and Revolution in China: The Communists and the Second United Front (University of California Press, 1974); and numerous articles in English and Japanese.
He has three times been the recipient of joint research fellowships from the Social Science Research Council and the American Council of Learned Societies. In 1983, he was a fellow of the Woodrow Wilson International Center for Scholars at the Smithsonian Institution in Washington, D.C.
He has taught political science at Vassar College and the State University of New York at Buffalo.
Kataoka received his B.A. in economics from Waseda University in Tokyo in 1955. He obtained his M.A. and Ph.D. in political science at the University of Chicago in 1967.
(1997)